レイ・ハラカミさんと西郡勲さん、何とはじめての対談だそうです(その2)

レイ・ハラカミさんと西郡勲さんをお迎えした「メディアをめぐる、7つの話」の第三話のつづきです。前半を読むのはこちらから。
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お二人が共感されたことで、ぼくにとって印象的だったのは、いまの道具は選択肢が多すぎるということでした。
選択できる範疇を選択肢の数が超えてしまったいま、それに溺れかねない状況にあり、メニューの選択だけではもはや表現ではないと、お二人は指摘されます。逆に自分たちにとっては、必要最小限の機能だけがあればそれでいいとおっしゃっていました。
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でも、重要なのは何よりも、自分の蓄積された「グワっとくるもの」ないしは「グッとくるもの」で、立ち返るのはいつも自分だということなのだと思います。
情報を摂取する選択肢であるメディアも、そして情報そのものも、あまりに多くなっています。立ち返るのはいつも自分だということは、表現する側にかぎったことではなく、そうでない人においても重要なことだと思います。
参加いただいた方からの質問に端を発して二木さんが、目蓋はあるのに何で耳蓋がないのか子どものころから不思議だったとおっしゃっていましたが、ときには耳蓋でもして遮断することすら必要なのかもしれません。
明日(9月3日に変更となりました)は、パーソナルロボットPaPeRoの研究開発をする藤田善弘さんと、そのPaPeRoと漫才をするぜんじろうさんをお迎えします。
ロボットとのコミュニケーションのあり方を考えられるお二人です。ロボットとのコミュニケーションが成り立ったとき、ぼくたちの言葉がどのように変容するのか。興味深いお話になるにちがいありませんので、ご期待ください。

02. 9月 2008 by CDC STAFF
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